CASIO PB-1000 FOREVER!

嗚呼、PJ!!(Pockecom Journal)

ポケコンジャーナル  皆さんはポケコン専門誌が発刊されていた事をご存じですか?
ポケコン記事と言うと、「マイコンBASICマガジン(電波新聞社)」なんかにちょこっとプログラムが
載っている程度で専門誌なんか無いと思われている方も多いと思います。
「ポケコンジャーナル(以下、PJ)」・・今は休刊してしまいましたが長い間(7〜8年)ポケコン専門誌
として(株)工学社から発刊(月刊)されていたのです!
(左写真がPJ誌の数々、一番上の女性がポケコンを持っているのが創刊号<'88 No.1>です。)

 ポケコンと言うとゲーム以外にも用途は様々で、むしろゲームよりコンピュータの教育(コンピュータ入門や
機械制御実習)やビジネスでの利用の方が本来の利用方法と言えます。
当然、PJでもこれらの事やパソコンとの通信の仕方やプログラム入門などを重点的に取り扱っています。
ポケコンの徹底解析(改造 etc.)的な記事も多くありました。もちろん新製品の情報なんかもありましたが、
パソコンに比べてポケコンは新製品が出るスピードが緩やかで基本設計が変わらないので愛機にも
愛着が沸き、しゃぶり尽くす様な事が出来たんですね。なんかパソコン雑誌見てると新製品レポート
ばかりで自分の機種がどんどん時代遅れになっていくので悲しくなってきます(汗)。

 PJ誌はマジメな雑誌です。イラストが多い月なんかは「イラストが多すぎる」とか意見もチラホラ出ていた
程です。ちゃんと学校の図書室にも置いてもらえる、為になる本なんです、PJ誌は。

それでは私がPJ誌で気になった記事を紹介しましょう。

●PJにおけるチェックポイント!(私なりにセレクトしました)

1. 「バグ情報」

 「バグ情報」・・要するに「間違えてました。ごめんなさい」のコーナーなんですが、PJ誌は間違いの多い雑誌でした。
総ページ数がそんなに多く無いのに毎月必ずと言って良い程、このコーナーが存在するのです(苦笑)。
記事中の誤りだったらまた良いのですが、プログラムや配線図の誤りはちょっとキツいです(^^;)。
バグ情報でびっくりしたのは、プログラム自体がまるごと別なヤツが掲載されてしまったケースがあったと言う事でしょうか(苦笑)。
はっきり言って、印刷前に実際に打ち込んで確認して欲しかったと思います(^^;;;)。
プログラムを他の機種(パソコン)等に転送して印刷していたみたいな所が原因かもしれません。

 私は以前、PJに掲載されていたPB-1000用の「ブロック崩し」のゲームをPB-1000Cに打ち込んで実行したら、思いっきり暴走しました。
入力確認の為に何回かダンプリストのチェックサムをチェックした所、重大な事に気が付きました。
「アドレスが飛んでる・・」。私はひたすら数値を順々に打ち込んでいたのですが、よく見るとアドレスが飛んでいる箇所があるのです。
実はこれ、アドレスが飛んでいるのではなくて、リストが抜けていたのです!(涙)。
PJ編集部に確認したら、「そうですね、抜けてますね」の一言で片づけられてしまったのにはさすがに呆れてしまいました。
それから数ヶ月後のPJ誌においてバグ情報として抜けた分のリストが掲載されましたが、打ち込みませんでした。
(結果的には、PB-1000用のマシン語プログラムはそのままではPB-1000Cでは使えない・・。私はこの事を知らなかったので
完全なリストがあったとしても動かす事は出来なかったと言うオチがあるんですけど。 ^^;;;)

 あと、PJ誌か増刊の「ポケコンプログラム集」に載っていたPC-1262用の「プロテクター2」と言うゲームを入力して実行したら
何故か「IMADOKI INVADER2」と言うインベーダーゲームが動きました。なんか説明読むと「テクザー」っぽいと思ったのですがハテ?
これはこれで面白いので今でも入れてます(笑)。

2. 「PJプラザ」
 どんな雑誌でも必ずページ欄外に読者の投稿コーナーがあります。
「PJプラザ」はそんなコーナーなんですが、他の雑誌とは違う所があります。
それは(1)1人で複数のページにまたがる事があるのと、(2)PJ編集部からの返事が少ない・・
と言う事です。
(2)に関してはPJ編集部はあまり関与せずに読者に交流の場を提供すると言った考えが
あったのかもしれません。しかし、ここにも「バグ」の影が(苦笑)。
何と同じ記事があちこちに掲載されている場合があるのです(笑)。
実はこのPJプラザ、創刊当初はペンネーム制ではなかったんです。
工学社の堅実さが伺えますね。
話の内容はと言うと、色々な話(ゲームミュージック、鉄道、小説など)があって、
まさにインターネットの掲示板の前身っぽさがありました。
ゲーム雑誌なんかだとゲーム系の事ばかりなんですが、
こっちの方が話題が豊富で良かったです。ちょっと「濃い」感じもしますが(笑)。
誌面はこんな感じです。
3. 「PJクラブ」

 これもどんな雑誌でもある読者のページです。いやぁ〜やっぱり「濃い」です(笑)。←注)悪い事では無いです。
「ホケコン戦隊ピージェイン」とか「PJ仮面」等の読者が考えた連載小説(?)やイラスト道場、独自の考えやテクニックなどを力説していたり
ここから生まれた企画(※)も多くありました。なかでも凄いのが「100枚イラスト掲載」!
よく同一誌で100枚ものイラストが掲載出来たなぁ〜と感心しましたが、
達成者が何人も居るのが驚きです。PJ編集者もその頑張りを評価したのでしょう。
イラストについては結構皆さんこだわりがあるようで、「スクリーントーン使用しない=手抜き説」まで発生して議論を繰り広げてました。
確か、「イラストにテーマを設定してみては」と提唱したのも読者だったと思います。
他誌の読者コーナーに比べたら、数倍充実した内容になっているのです。

※読者が考えた企画
・「ゲームデザイン館」=読者が簡単なゲームのアイデアを提案してプログラムを募集し掲載する。
・「イラスト爆弾回し」=爆弾の入ったイラストを書き、次にイラストを書く人を指名する。
・「この絵はだあれ?」=イラストを書いた人を当てる。
など、多数(手持ちのPJが少なくてあまり確認出来ませんでした)・・。

4. 「ブリキック・トーク」

 創刊当初から連載されていた「満珠菓子子」さんの連載エッセイです。自分の身近に起きた出来事に対しての見つめ直したり的な
(自分の考えを織り交ぜたり)内容で非常に読みやすかったのが印象深いです。PJ誌全体がマニアックになっている(コンピュータ誌だから
しょうがない)のに対して、唯一万人にも読める記事になっていました。実際、毎月読むのを楽しみにしている方も多かったんじゃないかと
思います。実は私もそうでした。


まだまだPJ誌には沢山の魅力があります。ぜひ手にして確認して下さい。
(古本屋でも入手は難しいかもしれませんが)


●PJ誌の多彩に変化に注目!

 PJ誌は10年近く発刊されていた雑誌です。誌面でも色々変化がありましたが、外見上についても同様でした。
そこで外見上の変化を追っていきたいと思います。

表紙から見るPJの歴史 1.この頃の表紙は女性がポケコンを持った写真でとても印象的でした。
たぶん、彼女らはポケコンなんて何だか知らなかったでしょう(笑)
2.創刊してしばらくすると、今度はゴチャゴチャした賑やかなイラスト
になりました。ゴチャゴチャしたイラストってよく見ると色々な所で気を使っていて
見ていて楽しいですね。
3.次もイラストですが、動物を使った独特なイラストになっています。
イラストのテーマも記事に沿っているようです。紙質・ページ数の変化のせいか、
雑誌の綴じ方も変わりました(糊付けされているようです)。
4.イラストは変わらないのですが、誌名が「ポケコンジャーナル」から
「PJ(ピージェイ)−電子手帳とポケコン」に変わりました。
愛称が正式名称になった!何だかナムコの「ファミリースタジアム(ファミスタ)」みたいですね(笑)。
当時、ビジネスマンに流行していた電子手帳関係の記事にも力を入れていたので
こうなったのでしょう。これで新規読者となった電子手帳ユーザーもいたはず。
5.誌名が「ポケコンジャーナル」に戻り、イラストがやたら綺麗なCGに変わりました。
記事で使っている紙もツルツルの上質紙(?)となりゴージャスに。
雑誌の綴じ方も初期の様なホチキス止めに戻りました(更に後期になると糊付けに変わりました)。

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